黙劇「杳体なるもの」 三

テーマ ・ プライベート♪ カテゴリ ・ 思索 #1220
――へっ、地獄の一丁目へ直行か! 吾は地獄と浄土の間を揺れ動く。さうじゃないかい? 


――ご名答! 


――それで死の世界にも特異点はあるのか? 


――穴凹だらけさ、多分ね。つまり、《存在》の数だけ死の世界には特異点の穴が開いてゐるに違ひない。さうじゃなかったならば《死滅》の存在理由がなくなってしまふじゃないか! 


――つまりは《存在》が《存在》するから死の世界も穴凹だらけなのだらう? 


――否、《杳体》さ。


――《存在》も《杳体》の一位相に過ぎないってことか……。


――森羅万象、諸行無常、有為転変、万物流転、生々滅々、輪廻転生など、それを何と表現しても構はないが、それらは全て《杳体》の一位相に過ぎない。ひと度《杳体》と《重なり合ふ》と、此岸と彼岸の全位相と対峙しなければならぬのだ。


――ふむ。しかし、《杳体》とはそもそも《闇》のことではないのかね? 


――へっ、さう来たか。《闇》もまた《杳体》の一位相に過ぎぬ。


――暗中模索だね……。《杳体》に《重なり合った》主体は光と闇の間をも振り子の如く揺れ動く、違ふかね? 


――簡単に言へば確率零と一の間を主体は《杳体》と《重なり合ふ》ことで揺れ動く。


――ぶはっ。確率零と一の間を揺れ動くだと? それじゃ、此の世に存在したものの分しか勘案してゐないじゃないか? 死んだもの達と未だ此の世に出現ならざるもの達は何処へ行った? 


――ちぇっ、簡単に言へばと断ったではないか! 続けて言へば《杳体》と《重なり合った》主体は確率零のときに死んだもの達や未だ出現ならざるもの達の呻きの中に没し、そして確率一のとき自同律の不気味さを心底味はひ尽くさねばならないのだぜ。もしかすると確率一のときこそ死んだもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟が満ち満ちてゐるかもしれないがな。


――確率一の不気味さか……。


――確率零も不気味だぜ。


――零と一との間(あはひ)にたゆたふ吾か……。それはきっと主体にとって残酷極まりないものに違ひない。


――へっへっへっ、主体は《杳体》と《重なり合って》無間地獄を潜り抜けねばならぬのさ。


――その時初めて《吾》は「吾」と呟けるのであらうか? 


――それは如何かな。《吾》は無と無限の残酷さを味はひ尽くすまで「吾」とは多分呟かないだらう。


――無と無限の残酷さか……。


――違ふとでも? 


――いやな、パスカルの言葉を思ひ出しただけさ。


――日本語訳では「中間者」と訳されてゐるが、「虚無」と「無限」の間、英訳ではbetweenといふ《存在》の在り方か……。


――さう……《存在》の在り方さ。確率零と一との間(あはひ)を揺れ動くのは地獄よりも尚更酷いものだぜ。だって「私」を幾ら揺すったところで《異形の吾》以外の何が出て来るといふんだい? 


――《異形の吾》ね……。


――それでは物足りないんだらう? 


――ふっふっふっふっ、その通りさ。《異形の吾》では物足りぬ。其処でお前の言ふ《杳体》さ。《杳体》に《重なり合ふ》主体とは、さて、どんなものなのだらうか? 


――無と無限を跨ぎ果(おほ)す過酷な《存在》の在り方さ。


――無と無限を跨ぎ果すか……。「中間者」にとっては過酷だな。


――へっ、過酷で済めば未だ良い方だぜ。大抵は途中で逃げ帰るのが落ちさ。


――逃げ帰る? 何処へ? その時「私」は既に「私」でない何かになって仕舞ってゐるんじゃないのか? 


――へっ、廃人さ。それとも狂人か。しかし、それはそれで極楽に違ひない。


――「私」のゐない「私」が極楽か……。否、それは地獄に違ひない! 


(三 終はり)



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