「猛暑の中の自転車のサイクルジャージ」
テーマ ・ プライベート♪
カテゴリ ・ なし
#19944
「猛暑の中の自転車のサイクルジャージ」
息苦しさに深呼吸するが、呼吸が楽になるどころか、取り返しのつかない異物を吸い込んだような焦りを覚えた容赦なく照り付けてくるお天道様を見上げながら、これは自殺行為かもしれないとぼんやり考えた朝日峠の登り。照り返すアスファルトに、何を勘違いしたのか長さ10センチほどのミミズがのた打ち回っている。わずか十数センチを隔てた暗がりには、水を含んだ湿り気のある黒土が見えているというのに……あと数分もしない内に、干からびて息絶えるだろう。彼(多分雄)の運命を変えたものは何だったのかお天道様への憧れだろうか、それとも気紛れな冒険心が致命的な間違いを犯させたのだろうか風前の灯のミミズが哀れに思えるが、かといって救いの手を差し伸べようとは思わない。ミミズの命を救うために、自転車のサイクルジャージを止めようとは思わない。私にとってのミミズの命とはそういうものである僅かな距離を隔てたところにあった地獄に掴まったミミズに同情している暇は無い人はあらゆる出来事を象徴的に考える癖がある。このミミズの運命も直ぐに自分の今の境遇に置き換えられた自転車のサイクルジャージに乗るというちょっとした快楽を得るために、とんでもない場所に飛び出してしまった私は、まさにこのミミズと同じではないのか。のた打ち回った末に、干からびて路上のゴミと化していく……斜度十数パーセントのカーブを息も絶え絶えに抜けると、前方の木陰で休んでいる自転車のサイクルジャージを確認遠目でも判る中年の特徴が、真っ先に情報として飛び込んでくる年齢は私と同じくらいだろうか、やたら軽装の親父は登ってくる私の姿を見るや、徐に自転車のサイクルジャージに跨り、走り始めた乗っているのはロードレーサーではない。BD-1と呼ばれる小径タイヤの折りたたみ式自転車のサイクルジャージである板についていない雰囲気から察するに、最近自転車のサイクルジャージを始めたのだろう峠を登ろうなどと考えるからには、若いときには何かスポーツをやっていたのかもしれない。全盛時の記憶が無謀な行為に導くのだBD-1は見た目のアンバランスの原因ともなっているその小径のタイヤが特徴的タイヤが小さい分たくさん足を回さなければならないような気がしてしまうが、良く考えると足の回転数はあくまでキヤ比に依存していて、タイヤのサイズとは一切関係がない大方の素人が抱いている小さくて大変という見た目の印象は間違いなのだ逆にタイヤの径が小さい分、空気抵抗が少なくなるという利点があるが、タイヤの遠心力が小さい分、高速での巡航は苦手そう考えると、この自転車のサイクルジャージは峠を登るのに向いているのかもしれない後から来た私に抜かれるのが嫌で、休憩もそこそこに走り出したのだろうが、殺人的な暑さの中、亀のように進んでいく傍らを軽い会釈で追い抜こうとした私に、「あとどれ位ありますか?」ことさら元気な声が飛んできた息が上がっているのを覚られないように、平静を装った声で「三、四百メートルで頂上ですよ……」中年男の維持の張り合いである。(笑)
「なんだ、もう少しだったのか……休むんじゃなかったな。」意地の張り合いの軍配は完全にあちら側に上がった夏の休日、茹だるような暑さの中、ヘロヘロになりながらも、負けん気だけは人一倍の中年男これが日本のサラリーマンかと思うと、情けないところを通り越して、滑稽に思えてくるそうは言うものの、この負けん気がこれまでの日本の経済を支えてきたのだ。(これからは違うような気がするが…)
60を過ぎてロードレーサーを始めたが、接待ゴルフ程度しかしてこなかった体力では思うようにならないママチャリに毛が生えた程度の走行なのだが、話をするといつでも内容的には私を上回っている。この人にも諸手を挙げて降参である。(爆笑)
引退後何年経っても、昔の自分の地位や立場を引き合いに出して、威張りまくる困った御仁がたくさんいるが、会社という歪んだ組織の中で犠牲にしてきたものを考えると、致し方の無いことなのかもしれない。
息苦しさに深呼吸するが、呼吸が楽になるどころか、取り返しのつかない異物を吸い込んだような焦りを覚えた容赦なく照り付けてくるお天道様を見上げながら、これは自殺行為かもしれないとぼんやり考えた朝日峠の登り。照り返すアスファルトに、何を勘違いしたのか長さ10センチほどのミミズがのた打ち回っている。わずか十数センチを隔てた暗がりには、水を含んだ湿り気のある黒土が見えているというのに……あと数分もしない内に、干からびて息絶えるだろう。彼(多分雄)の運命を変えたものは何だったのかお天道様への憧れだろうか、それとも気紛れな冒険心が致命的な間違いを犯させたのだろうか風前の灯のミミズが哀れに思えるが、かといって救いの手を差し伸べようとは思わない。ミミズの命を救うために、自転車のサイクルジャージを止めようとは思わない。私にとってのミミズの命とはそういうものである僅かな距離を隔てたところにあった地獄に掴まったミミズに同情している暇は無い人はあらゆる出来事を象徴的に考える癖がある。このミミズの運命も直ぐに自分の今の境遇に置き換えられた自転車のサイクルジャージに乗るというちょっとした快楽を得るために、とんでもない場所に飛び出してしまった私は、まさにこのミミズと同じではないのか。のた打ち回った末に、干からびて路上のゴミと化していく……斜度十数パーセントのカーブを息も絶え絶えに抜けると、前方の木陰で休んでいる自転車のサイクルジャージを確認遠目でも判る中年の特徴が、真っ先に情報として飛び込んでくる年齢は私と同じくらいだろうか、やたら軽装の親父は登ってくる私の姿を見るや、徐に自転車のサイクルジャージに跨り、走り始めた乗っているのはロードレーサーではない。BD-1と呼ばれる小径タイヤの折りたたみ式自転車のサイクルジャージである板についていない雰囲気から察するに、最近自転車のサイクルジャージを始めたのだろう峠を登ろうなどと考えるからには、若いときには何かスポーツをやっていたのかもしれない。全盛時の記憶が無謀な行為に導くのだBD-1は見た目のアンバランスの原因ともなっているその小径のタイヤが特徴的タイヤが小さい分たくさん足を回さなければならないような気がしてしまうが、良く考えると足の回転数はあくまでキヤ比に依存していて、タイヤのサイズとは一切関係がない大方の素人が抱いている小さくて大変という見た目の印象は間違いなのだ逆にタイヤの径が小さい分、空気抵抗が少なくなるという利点があるが、タイヤの遠心力が小さい分、高速での巡航は苦手そう考えると、この自転車のサイクルジャージは峠を登るのに向いているのかもしれない後から来た私に抜かれるのが嫌で、休憩もそこそこに走り出したのだろうが、殺人的な暑さの中、亀のように進んでいく傍らを軽い会釈で追い抜こうとした私に、「あとどれ位ありますか?」ことさら元気な声が飛んできた息が上がっているのを覚られないように、平静を装った声で「三、四百メートルで頂上ですよ……」中年男の維持の張り合いである。(笑)
「なんだ、もう少しだったのか……休むんじゃなかったな。」意地の張り合いの軍配は完全にあちら側に上がった夏の休日、茹だるような暑さの中、ヘロヘロになりながらも、負けん気だけは人一倍の中年男これが日本のサラリーマンかと思うと、情けないところを通り越して、滑稽に思えてくるそうは言うものの、この負けん気がこれまでの日本の経済を支えてきたのだ。(これからは違うような気がするが…)
60を過ぎてロードレーサーを始めたが、接待ゴルフ程度しかしてこなかった体力では思うようにならないママチャリに毛が生えた程度の走行なのだが、話をするといつでも内容的には私を上回っている。この人にも諸手を挙げて降参である。(爆笑)
引退後何年経っても、昔の自分の地位や立場を引き合いに出して、威張りまくる困った御仁がたくさんいるが、会社という歪んだ組織の中で犠牲にしてきたものを考えると、致し方の無いことなのかもしれない。
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