ざわめき 四

テーマ ・ プライベート♪ カテゴリ ・ 思索 #1340
 有機物の死骸たるヘドロが分厚く堆積した溝川(どぶがは)の彼方此方で、鬱勃と湧く腐敗Gas(ガス)のその嘔吐を誘ふ何とも遣り切れないその臭ひにじっと我慢する《存在》にも似たこの時空間を埋め尽くす《ざわめき》の中に、《存在》することを余儀なくせざるを得ない彼にとって、しかしながら、それはまた堪へ難き苦痛を彼に齎すのみの地獄の責苦にしか思へぬのであったが、それは詰まる所、《存在》の因業により発せられる《断末魔》が《ざわめき》となって彼を全的に襲ひ続けると彼には思はれるのであった。


…………


…………


――《存在》は自らの剿滅を進んで自ら望んでゐるのだらうか? 


――《存在》の最高の《愉悦》が破滅だとしたならばお前は何とする? 


――ふむ……多分……徹底的に破滅に抗ふに違ひない。


――仮令それが《他》の出現を阻んでゐるとしてもかい? 


――ああ。ひと度《存在》してしまったならば仕方がないんじゃないか。


――仕方がないだと? お前はさうやって《存在》に服従するつもりなのかい? 


――《存在》が自ら《存在》することを受け入れる事が《存在》の服従だとしても、俺は進んでそれを受け入れるぜ。仮令それが地獄の責苦であってもな。


――それは、つまり、《死》が怖いからかね? 


――へっ、《死》を《存在》自らが決めちゃならないぜ、《死》が怖からうが待ち遠しいからうがな。《存在》は徹底的に《存在》することの宿業を味はひ尽くさなければならない義務がある。《存在》が《存在》に呻吟せずに滅んで生れ出た《他》の《存在》などお前は認証出来るかい? 何せこの宇宙が自ら《存在》に呻吟して《他》の宇宙の出現を渇望してゐるのだからな。


――つまり、《存在》が呻吟し尽くさずして何ら新たな《存在》は出現しないと? 


――ふっ、違ふかね? 


――くぃぃぃぃぃぃんんんんんんん~。


 また何処かで《吾》が《吾》を呑み込む際に発せられる《げっぷ》か《溜息》か、将又(はたまた)《嗚咽》かがhowling(ハウリング)を起こして彼の耳を劈くのであった。それは《存在》が尚も存続しなければならぬ哀しみに違ひなかった。《他》の《死肉》を喰らふばかりか、この《吾》すらも呑み込まざるを得ぬ《吾》といふ《存在》の悲哀に森羅万象が共鳴し、一瞬Howling(ハウリング)を起こすことで、それはこの宇宙の宇宙自身に我慢がならぬ憤怒をも表はしてゐるのかもしれなかったのである。その《ざわめき》は死んだ《もの》達と未だ出現ならざる《もの》達と何とか呼応しようと懇願する、出現してしまった《もの》達の虚しい遠吠えに彼には思へて仕方がなかったのであった。


 実際、彼自身、昼夜を問はず《吾》を追ひ続け、やっとのことで捕まへた《吾》をごくりとひと呑みすることで《吾》は《吾》であることを辛うじて受け入れる、そんな何とも遣り切れぬ虚しい日々を送ってゐたのであった。


…………


…………


――《存在》は全て《吾》であることに懊悩してゐるのであらうか? 


――全てかどうかは解からぬが、少なくとも《吾》が《吾》であることに懊悩する《存在》は《存在》する。


――ふっ、そいつ等も吾等と同様に《吾》といふ《存在内部》に潜んでゐる《特異点》といふ名の《深淵》へもんどりうって次々と飛び込んでゐるのだらう……。さうすることで辛うじて《吾》は《吾》であることを堪へられる。ちぇっ、「不合理故に吾信ず」か――。


――付かぬ事を聞くが、お前は、今、自由か? 


――何を藪から棒に。


――つまり、お前は《特異点》に飛び込んだ事で、不思議な事ではあるが《自在なる吾》、言ひ換へると内的自由の中にゐる自身を感じないのかい? 


――それは天地左右からの解放といふことかね? 


――へっ、つまり、重力からの仮初の解放だよ。


――重力からの仮初の解放? へっ、ところがだ、《吾》は《特異点》に飛び込まうが重力からは決して解放されない! 


――お前は、今、自身が落下してゐると明瞭に認識してゐるのかね? 


――…………。


――何とも名状し難い浮遊感に包まれてゐるのじゃないかね? 


――へっ、その通りだ。


――それは重力に仮初にも身を、否、意識を任せた結果の内的な浮遊感だらう? 


――ちぇっ、それは、つまり、《地上の楽園》を断念し《奈落の地獄》を受け入れたことによる《至福》といふことかね? 


――へっ、何を馬鹿な事を言ふ。それは《存在》が《存在》してしまふことの皮肉以外の何ものでもないさ。


(四 終はり)



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