黙劇「杳体なるもの」 四

テーマ ・ プライベート♪ カテゴリ ・ 思索 #1450
――ふっふっふっ。「私」のゐない「私」もまた極楽と地獄の間を揺れ動くのさ。


――ちぇっ、《存在》はやはり確率零と一の間を揺れ動く。つまり、無と無限の間か……。詰まる所、あらゆる《存在》は無と無限の間を揺れ動かざるを得ない! 而して、それは何故か? 


――へっ、《存在》しちまってゐるからに決まってをらうが! 


――ちぇっ、この煮ても焼いても喰へない《存在》に先づ《吾》が《重なり合ひ》、そして《杳体》が《重なり合ふ》。またまた愚問だが、そもそも《杳体》とは何を淵源としてゐるのかね? 


――パスカルの深淵にもんどりうって飛び込んだ時の《自由落下》する《意識》の有様にその淵源を持つと言へば少しは解かるかな? 


――《自由落下》する《意識》の有様? 


――パスカルの深淵とは特異点の別称さ。


――さうお前は言ひ切れるのかね、特異点の別称だと? 


――ああ。ここでさう言ひ切る外あるまい。パスカルの深淵が特異点の別称だと。


――つまり、その《特異点》にもんどりうって飛び込んだ《存在》の《自意識》が《自由落下》する様が《杳体》の尻尾を捕まへる鍵といふ訳かね? 


――へっへっ。この《意識》の《自故落下》が曲者なんだ。


――ふむ。《意識》が《自由落下》するとは《自意識》が《吾》からずり落ちることを指してゐるのかね? 


――さう解釈しても別に構はぬが、《吾》が「私」より先に《自由落下》してゐるとしたならば、へっ、「私」は永劫に追ひ付けない《吾》をそれでも尚追ふ構図もあり得るぜ。


――ふむ。《吾》が「私」より先に既に《自由落下》してゐるか……。ふっふっふっ。哀しき哉、《存在》は! しかしだ、未だ解からぬぞ、そのお前が唱へる《杳体》が! 


――《杳体》は杳として知れぬ何かだと最初に言った筈だがね。


――それさ。杳として知れぬ《もの》が《存在》の態を為し得るのか? 


――へっ、面白くなってきたぜ。お前は今《杳体》を《もの》と形容したのに気付かなかったのかね? ふっふっ、堂々巡りの始まりか――。だから、《杳体》が《存在》の態を為すか為さぬかは《主体》次第だとこれまた最初に言った筈だがね。


――それではその《主体》とは何を指しての《主体》とお前は言ふのか? 


――ふっふっふっ。これも最初に言った筈だが、《主体》とは此の世の森羅万象が自身が《存在》する為には如何あっても持ち堪へなければならぬ《もの》さ。


――すると《存在》は全てそれが何であらうと《自意識》を持つと? 


――ああ、さうさ。《存在》する《もの》はそれが何であれ、哀しき哉、《自意識》を持ってしまふ。


――これも愚問だが、《杳体》にとって神とは何なのだ? 


――藪から棒に何だね? 神と来たか……。さて、何としたものかね、神は――。


――神は《杳体》ではないのか? 


――神は《杳体》でも構はないし《杳体》でなくても構はない、それが神さ。


――神もまた蜃気楼の亜種かね? 


――蜃気楼といふよりもVision(ヴィジョン)、つまり、《幻影》の類に相違ない。


――《幻影》? 


――《幻影》といっても幻の影だぜ。何の事だか察しがつく筈だが……。


――幻に影があるといふことはその幻は《実体》といふことか――? 


――さう。幻といふ《実体》、それが神さ。


――それでは幻といふけれど、それは実際のところ、何の幻のことかね? 


――ぷふぃ。《私自身》の幻に決まってをらうが。外に何が考へられるといふんだね? 


――ぶはっ。《私自身》の幻が神? 馬鹿らしい。神とはそもそも自然の別称ではないのかね? 


――自然もまたそれが《存在》する以上、《自意識》を持つのは自明の理と考へられる……。つまり、何もかもが《私自身》に帰すのさ。更に言へば神とは彼の世にゐる《私自身》といふ《実体》の幻さ。


――彼の世にゐる《私自身》の《実体》? 彼の世への《私自身》の《表象》の投影ではなく、《私自身》の《実体》の幻と? 


――彼の世に《私自身》の《表象》を投影したところで、ちぇっ、それは虚しいだけさ。


(四 終はり)

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