水際 五

テーマ ・ プライベート♪ カテゴリ ・ 思索 #3495

<span style=";">――ああ、醜悪極まりない! 《吾》が質量零でしか決して成し遂げなれぬ光速度までに加速し続けながら《パスカルの深淵》を自由落下した挙句の果てに、《吾》が《吾》に尚もしがみ付くことに、はて、何の意味がある? 



<span style=";">――しかし、《吾》とはそれでも《吾》であり続けたい《存在》ではないのかね? 



<span style=";">――《吾》が地獄の別称でしかないとしてもかね? 



<span style=";">――ああ。《吾》たる《もの》は飽くまで《吾》にしがみ付く筈さ。



<span style=";">――さて、その根拠は? 



<span style=";">――《吾》の外に《他》が《存在》するからさ。



<span style=";">――宇宙の涯を其処に見出さずにはゐられぬ《他》が《存在》するが故に、《吾》が《吾》にしがみ付くといふ愚行において、さて、《パスカルの深淵》を自由落下し続けた果てに光となりて此の世に遍在可能な《存在》へと変化してゐるに違ひない《吾》をその《吾》が解脱せずして、何が《存在》から解脱するといふのか? 



<span style=";">――へっへっへっ、《吾》さ。



<span style=";">――はて、《吾》は尚も《吾》にしがみ付くのじゃないかね? ふっふっふっ。



<span style=";">――《パスカルの深淵》を自由落下し続けて光速度を得た《吾》はその刹那、此の世から蒸発するが如く《発散》し、それでも尚《吾》は《吾》にしがみ付くのだが、しかし、《吾》は否が応でも《吾》から引き離される。



<span style=";">――つまり、《吾》といふ《状態》と《反=吾》といふ《状態》が《重ね合は》されると? 



<span style=";">――さうさ。《吾》は、二重、三重、四重、五重等々、多様な、ちぇっ、それを無限と呼べば、その無限相を自在に《重ね合は》せては、その一方でまた自在に《吾》を《吾》から《分離》させる魔術を手にした《吾》は、《吾》にしがみ付きつつも此の世に遍在するといふ矛盾を可能にするその無限なる《もの》を、自家薬籠中の《もの》にする。



<span style=";">――へっ、無限ね? それを無限と呼ぶのはまだ早過ぎやしないかね? 



<span style=";">――では何と? 



<span style=";">――虚無さ。



<span style=";">――虚無? 



<span style=";">――端的に言ふと、《吾》が《吾》であって而も《吾》でない《吾》といふ《もの》を形象出来るかね? 



<span style=";">――ふむ。《吾》であって《吾》でない《吾》か……。ふっ、しかし、《吾》とは本来さういふ《もの》じゃないかね? 



<span style=";">――ふっふっふっ。その通りさ。《吾》とは本来さういふやうに《存在》することを強要される。まあ、それはそれとして、さて、その虚無の《状態》である《吾》の《個時空》が如何なる《もの》か想像出来るかい? 



<span style=";">――《個時空》は普遍的なる《時空》へと昇華してゐる筈さ。



<span style=";">――つまり、此の世全てが《吾》になると? その時《他》の居場所はあるのかね? 



<span style=";">――……《吾》と……《他》は……つまり……《重なり合ふ》のさ。



<span style=";">――それは逃げ口上ではないのかね? 



<span style=";">――へっ、つまり、《吾》と《他》は水と油の関係の如く《重なり合ふ》ことなんぞ夢のまた夢だと? 



<span style=";">――ああ、仮令、《吾》と《他》が《重なり合っ》たとしても、結局、《吾》は飽くまで《吾》のままであって《他》にはなり得ぬ。



<span style=";">――それで構はぬではないか? 



<span style=";">――構わぬ? 



<span style=";">――断念すればいいのさ。「《吾》は何処まで行っても《吾》でしかない」とね。



<span style=";">――それは断念かね? それは我執ではないのかね? 



<span style=";">――我執で構はぬではないか? お前は《吾》に何を求めてゐるのかね? 



<span style=";">――正覚さ。



<span style=";">――正覚者が《吾》であってはいけないのか? 



<span style=";">――いいや、別に《吾》であっても構はぬが、しかし、……。



<span style=";">――しかし、何だね? 



<span style=";">――《吾》が虚妄に過ぎぬと《吾》が《吾》に対して言挙げして欲しいのさ。



<span style=";">――別にそれは正覚者でなくとも可能ではないかね? 



<span style=";">――ああ、その通り、正覚者でなくとも簡単至極なことだ。しかし、《吾》なる《もの》を解脱した正覚者が、「《吾》は虚妄の産物に過ぎぬ」と《吾》に対しては勿論のこと、《吾》を生んだこの悪意に満ちた宇宙に対して言挙げして欲しいのさ。



<span style=";">――それは何故にか? 



<span style=";">――《吾》自体が虚妄であって欲しいからさ。



<span style=";">――《吾》自体の虚妄? 



<span style=";">――最早《吾》が虚妄でなければ、《吾》は一時も《吾》であることを受け入れられぬからさ。



<span style=";">――それは《吾》が《吾》に対して怯えてゐるといふことかね? 



(<span style=";">五の篇終はり)



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