幽閉、若しくは彷徨 三十七

テーマ ・ プライベート♪ カテゴリ ・ 思索 #3576

<span style=";">――やはり秩序無くして《主体》は此の世を受け入れられぬか? 



<span style=";">――人体を見ればそれは火を見るよりも明らかさ。



<span style=";">――ふっふっふっ。人体ね。



<span style=";">――さう含み笑ひをするところを見ると人体は無秩序だと? 



<span style=";">――いや、何、人体の秩序とは、所詮、細胞が如何に《死》するかの問題に行き着いてしまふのじゃないかと思ってね。



<span style=";">――受精卵といふたった一つの細胞が細胞分裂を繰り返し、様々な機能の臓器へと分化する《発生》の問題でなく、細胞の《死》が問題だと? 



<span style=";">――ああ。臓器がその機能を保持出来るのは細胞が、つまり、癌化する《傷付いた》細胞が自死、即ちApoptosis(アポトーシス)する故に人体といふ秩序は何とか保たれてゐるに過ぎず、更に言へばこの人体の姿形は、細胞がApoptosisと細胞分裂との鬩(せめ)ぎ合ひの結果球体とは全く異なる姿形になったのじゃないかね? さうすると如何しても秩序には《死》がくっ付いて離れないのじゃないかと思ってね? 



<span style=";">――つまり、《死》無くして秩序はあり得ぬと? 



<span style=";">――ああ、さうさ。《死》あればこそ秩序は保たれる……。付かぬことを尋ねるが、《死》は秩序かね、それとも渾沌かね? 



<span style=";">――ふっふっふっ。《死》は秩序でも渾沌でもないのじゃないかね? 



<span style=";">――すると《死》は何かね? 



<span style=";">――《生》を《生》たらしめるその礎さ。



<span style=";">――《死》が《生》の礎だとすると《死》は間違ひなく秩序の領分だぜ。



<span style=";">――へっ、どっちでも構はないじゃないかね? 所詮、秩序と渾沌は紙一重の違ひしかないのさ。



<span style=";">――つまり、秩序は渾沌を、渾沌は秩序を、換言すれば、《生》は《死》を、《死》は《生》を内包してゐなければ、そもそも《存在》は《存在》し得ぬといふことかね? 



<span style=";">――へっ、《存在》は詰まる所、《虚しいもの》ではないのかね? 



<span style=";">――それは、ちぇっ、約(つづ)めて言へば二元論的な考へはそもそもあり得ず、もしも二元論的なる《もの》があれば、それは捨て去れと? 



<span style=";">――ああ。秩序は渾沌を、渾沌は秩序を、《生》は《死》を、《死》は《生》を、そして、《存在》は《虚無》若しくは《無》を、《虚無》若しくは《無》は《存在》を「先験的」に内包してゐる。つまり、《吾》は《他》を、《他》は《吾》を元来内包せずには此の世に出現すらしてゐない筈さ。



<span style=";">――それは、詰まる所、陰陽五行説の太極に至るといふことかね? 



<span style=";">――ああ、さうさ。陰陽魚太極図こそ、此の世といふ《もの》の正体を象徴的に表はした《もの》の一つだ。



<span style=";">――へっ、弁証法ではやはり駄目かね? 



<span style=";">――弁証法では此の世を論理的には絶対に語れない。つまり、正の中に反が、反の中に正が内在してゐる前提で物事を語らなければ、何事も始まらないのさ。



<span style=";">――へっ、つまり、正反合は嘘っ八だと? 



<span style=";">――ああ。正反合こそ物事の正体を捕まへ損ねる諸悪の根源さ。



<span style=";">――つまり、此の世の事は二律背反からでしか語り始められぬと? 



<span style=";">――さうさ。カントはそれに薄々気付いてゐた筈さ。此の世を語るには二律背反から始めるしかないとね。



<span style=";">――しかし、人類に二律背反を語り果せる語彙若しくはその言語を基にした思考があるかね? 二律背反は何処まで行っても二律背反のままだぜ。



<span style=";">――無いならば新しく創出すればいいのさ。



<span style=";">――創出すればいいとお前は簡単に言ふが、新たな言語若しくはその言語を基にした思考法を創出するのは困難極まりない難事だぜ。



<span style=";">――しかし、《吾》は、へっ、《存在》の縁に既に追ひ詰められてしまってゐる《吾》は、最早、その難事を成し遂げなければ生き残れないのさ。人類は元々言語が音声といふ《波》と文字の字画といふ《量子》から成り立つやうになったことからも思考は必然的にさうなるに決まってゐた一つの例証として、科学の分野での量子「色」力学若しくは場の量子論へと漸く行き着いたじゃないか。更に更に人類は超弦理論や過剰次元といふ理論へと飛躍を遂げて、へっ、さうなれば《吾》が生き残るための新たな言語若しくはその言語を基にした論理的なる思考法を創出するのは簡単至極なことさ。



<span style=";">――えっ、生き残る為の言語若しくはその言語を基にした思考法? ……別に《主体》が生き残る必然性は……何処にも無いのじゃないかね……? 



<span style=";">――ちぇっ、俺は《主体》とは一言も言ってないぜ。へっ、むしろ《主体》なんぞはさっさと死んでしまへばいいのさ。しかし、此の世の森羅万象に《存在》する《吾》といふ代物は、此の世の衰滅を見届ける義務がある。



<span style=";">――これは愚問だが、《主体》は《吾》ではないのかね? 



<span style=";">――《主体》は《客体》を排他するから《吾》ではないよ。



<span style=";">――つまり、《吾》とは「先験的」に《他》を内包してゐる《もの》だと? 



<span style=";">――ああ。《吾》こそ《他》を内包してゐる、例へば陰陽魚太極図のあの目玉模様そのものさ。



<span style=";">――そして、秩序の中には渾沌を、渾沌の中には秩序をだらう? しかし……それは《破滅》を意味するのではないのかい? 



(<span style=";">三十七の篇終はり)



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