幽閉、若しくは彷徨 四十
<span style=";">――ふっふっふっ。《吾》に無や無限が飼ひ馴らせられると思ふかい?
<span style=";">――う~ん、それは……至難の業には違ひない。
<span style=";">――それでも《吾》が《吾》を存続させる為には無と無限、換言すれば《死》を一時でもその手で握り潰して、そして、それを捏ね繰り回しては何かを創造する外ないとすると、へっ、高々無と無限にすらてこずる《吾》に、さて、特異点と対峙する暇はあるのかい?
<span style=";">――それは当然《他》と対峙するといふ意味も兼ねてゐるね?
<span style=";">――ああ、勿論。特異点たる《他》と対峙する《吾》……くっくっくっくっ、その《吾》は内部にも特異点たる《他》を抱へる《吾》であるといふ皮肉!
<span style=";">――ふはっはっはっはっ。ざまあ見ろかね?
<span style=";">――馬鹿な! 俺もやはり特異点たる《他》といふ矛盾に振り回され、嘲弄される側の《存在》だぜ。
<span style=";">――《存在》とは元来嘲弄される《もの》ではないのかね?
<span style=";">――ふっ、何に?
<span style=";">――へっ、《他》だらう?
<span style=";">――《他》かね? 《吾》ではないのかね?
<span style=";">――どちらでも構はないんじゃないか。所詮、《吾》といふ《存在》は「先験的」に嘲弄されるやうに創造されてしまってゐる。
<span style=";">――そして、《吾》は《他》を愚弄する。違ふかね?
<span style=";">――其処で愚弄するといふのは《吾》ではなく《他》かね?
<span style=";">――ああ。《吾》は《吾》として《存在》することで既に「先験的」に《吾》に嘲弄されてゐる上に、《他》にも嘲弄される故に、《吾》は仕方なく若しくは近親憎悪にも似て《他》を呪ひ、愚弄するのさ。さもなくば《吾》は《吾》自体を呪ひ、愚弄するといふ留まるところを知らぬ深淵に嵌り込むしかない。
<span style=";">――しかし、大概の《吾》は《吾》ばかりを呪ってゐるぜ。特異点たる《他》が《吾》の内部にも外部にも潜んでゐるにも拘はらず、《吾》は《他》の《存在》に目を閉ざして恰も《他》が此の世に無いかの如く《吾》にばかり執着してゐる。
<span style=";">――ちぇっ、その方が一見して《吾》には楽だからさ。
<span style=";">――楽?
<span style=";">――ああ。楽だからさ。《吾》が《吾》にばかり目を向けて《吾》を呪ひ、嘲弄してゐる内に、何時しかそれが昂じてMasochism(マゾヒズム)的な自己陶酔に耽溺することになり、へっ、《吾》は《吾》の虜になって《吾》以外の《もの》を忘却出来るかの如き錯誤の蟻地獄ならぬ「吾地獄」から永劫に抜け出せなくなる哀れな末路を取ることになる。それはそれは楽に決まってゐるぜ、何せ《吾》以外に何も《存在》しないんだからな。
<span style=";">――しかし、大概の《存在》は、《吾》は《吾》に自閉してゐると端から看做してゐるぜ。
<span style=";">――さういふ輩は《吾》に耽溺しながら自滅すればいいのさ。
<span style=";">――へっ、《吾》に溺れ死ぬか――。
<span style=";">――Masochism的な自己陶酔の中で溺死出来るんだから、それは極楽だらうな。
<span style=";">――否、それは地獄でしかない!
<span style=";">――《吾》が《他》に目もくれずに、自閉した《吾》に耽溺する不幸は、それが地獄の有様そっくりだからな。ふっ、何せ地獄では《吾》は未来永劫《吾》であり続け《吾》といふ自意識が滅ぶことは永劫に許されずに、その上で地獄の責苦を味はひ尽くす以外に《存在》し得ぬのだからな。
<span style=";">――しかし、《主体》は、耳孔、鼻孔、眼窩、口腔、肛門、そして生殖器等、穴凹だらけなのは厳然とした事実だ。
<span style=";">――つまり、《吾》もまた穴凹だらけであり、《吾》は《他》をその内部に《吾》の穴凹として抱へ込まざるを得ない。
<span style=";">――付かぬことを聞くが、《吾》に開いた《他》といふ穴凹は《対自》のことかね?
<span style=";">――いいや、決して。《他》は《他》であって《即自》や《対自》や《脱自》等の如何なる《自》でもない。また、《他》が《自》であるかのやうに看做すやうでは、《主体》は精々穴凹が全て塞がれた幻影を《吾》と錯覚し、それは取りも直さずMasochism的な自己陶酔の中に溺れてゐるに過ぎない。
<span style=";">――だが、《吾》はその内部に《他》が潜んでゐる等とは夢にもこれまで考へた事はなかった。
<span style=";">――それは《吾》が《吾》で自己完結してゐると勘違ひしたかったからに過ぎない。
<span style=";">――つまり、《他》の《存在》には目を瞑って世界を独り《主体》のみが背負ふ世界=内=存在といふ自己陶酔の極致に《存在》は自らを追ひ詰めてしまったのだ。
<span style=";">――しかし、世界は《吾》などちっとも《存在》しなくても若しくは《吾》が死しても相変はらず存続する。
<span style=";">――つまり、世界もまた《他》といふことだらう?
<span style=";">――さうさ。
(<span style=";">四重の篇終はり)
自著「夢幻空花なる思索の螺旋階段」(文芸社刊)も宜しくお願いします。詳細は下記URLを参照ください。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp
まだコメントはありません。最初のコメントを書いてみませんか?
コメントするには ログイン してください。