悲劇の初日

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{374}{f01}「1941年12月8日」未明、日本海軍はハワイ島の{f02}米海軍太平洋艦隊基地を奇襲した。

{da1}「大本営発表。本日八日未明、帝国陸海軍は南太平洋において米英両軍と戦闘状態に入れり」{o16}72年前の忘れられない日米開戦のラジオ放送てある。

{180}その後本軍はマレー半島の{f07}英国要塞に進攻攻略、さらにフィリッピンの米軍を攻略開戦後約半年あまり、破竹の勢いで進撃した。
だが、翌1942年6月戦略上の要点ミッドウエー島争奪のため出撃した我が{f01}{211}連合艦隊は迎え撃つ{f02}{211}米太平洋艦隊と壮絶な開戦となつた。結果、わが連合艦隊は航空母艦4隻と{hs8}航空機200機を失う惨敗を喫した。
しかし、日本は新たに空母の建造また修理と航空機の早期の増産は極めて低く
この結果、制海制空権ともに失うこととまなった。
かくて連合艦隊の主力の大半をうしなった日本はこれまでの攻勢態勢から次第に守勢に移らざるるをえなくなった。

{181}守勢に立たされ海空の戦闘に多大の制約をうけつつも日本軍は爾後も抵抗を続けたが、1945年3月10日東京大空襲、次いで8月6日広島・9日長崎に原爆が投下された。そしてポツダム宣言を受諾。9月米戦艦ミズーリ号上てげ無条件降伏文に署名し、膨大な国家と民間の資産の喪失及び300万人余の犠牲者を伴って3年余に亘る戦争を終結した。

{182}開戦前、政府・陸海軍の首脳の中には対米戦不可を主張する者がいたが、その意見は聞き入れられることなく彼らは国の指導機関から遠ざけられていった
当時米国の国力は日本の10倍以上と云われ、特に工業力は日本を遙かに凌いでいた。戦争は大消耗戦である。したがって近代戦の勝敗は国力の差によって決まる。
{183}振り返って日本は日清戦争(1894年)日露戦争(1904年)に勝利し台湾及び南樺太を取得、さらに第1次世界大戦(1914年)参戦によりドイツより南太平洋の群島を得るなど国土を広げた。そして中国東北部に傀儡国家「満州」を創設し、ついで朝鮮半島を併合した。つまり{237}日本は19世紀末から20世紀初頭にかけて覇権国家化しつつあった。特に、「満州国」は国際社会から承認されず中国への返還を要求されていた。よって日本の覇権的性格を深く懸念され、かつ国際聯盟を脱退し孤立化していた。また、開戦時既に日中(中華民国)戦争が4年に亘り継続中、多額の戦費を費やし国の経済は疲弊しつつあつた。
{184}このような国内外の状況から資源無き国が超大国に何故挑戦したのか。戦のシナリオはどう画いたのか。終焉の形はどう見積もっていたのか。未だ謎につ包まれているようである。
{440}思うに傲慢不遜になった時の政府軍部は国際世論を無視し、かつ国民とマスコミを扇動して悲劇へと進めてしまったのではないか。
{374}小生、当時少年兵として内地の基地にいたが、日本は勝てるのか不安を抱いていた。そして敗戦を上司から告げられたときホットしたことを思い出す。
また、あらためてこの戦争に参戦し無事帰還された方々もその多くはすでに鬼籍にある。 {e05}「黙祷」                             



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